タルタリア帝国の滅亡
ナポレオンがモスクワに侵攻したのは9月2日でした。
ボロジノの戦いで大打撃を受けた後です。
ロシアの軍隊はフランス軍に対して、効果的な攻撃を加えた後、十分な蓄えと
戦略的な優位性を持ったまま、なぜか突然、モスクワを手放して撤退してしまいました。
単に撤退したというわけではなく、ロシアで最大の都市であり
歴史的な中心であったモスクワを敵軍に受け渡してしまったのです。
皇帝のアレクサンドルI世はモスクワをロシアの全都市の頂点と述べていたほどです。
そのモスクワをナポレオンが来た途端に、捨てたのです。
ナポレオン一世・ボナパルトはフランスの皇帝、イタリヤの王、ライン同盟の保護者
スイス連合の調停人でもあります。
一方のアレクサンドルI世は全ロシアの皇帝で、そのロシア全土の王や領主たちの上に
君臨していました。そのユダヤの領主も支配下においていました。

【驚愕すぎる!!】19世紀初頭に消滅した歴史上最大の国家 タルタリヤ帝国の滅亡 第②回
 ナポレオンのモスクワ侵攻の謎



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