
今回はnoteの記事を紹介します。
「どうして日本の景観はこんなに汚いんだろう?」
そんな疑問を抱く人たちが集い、意見交換をする場を目指しています。
noteでは、日本の景観問題について、他のSNSではできない、真面目な深掘りをしていきます。
ヨーロッパの街を訪れる日本人はよく言う。
「ヨーロッパは景色が綺麗だ」
そして、日本に帰ってきたときに目に映る風景を見て、少しの安堵と、小さな失望、という2つの感情を抱く。
安堵というのは、日本語の通じる、治安のいい日本に戻ってきたという安堵だ。
ただ、小さな失望の方が何なのかを明らかにしようとする人は少ない。
それなら、ここではっきりさせたい。
「日本は景色が汚い、本当に汚い」
そう、現代の日本は世界を見渡してもなかなかないほどに、景色が汚い。
「日本は景色が汚い、本当に汚い」
そう、現代の日本は世界を見渡してもなかなかないほどに、景色が汚い。
どこの街に行っても空を電線が覆い尽くし、
建物に統一感はなく、
商業施設の派手な看板が立ち並んでいる。
そして、何より街のアイデンティティである伝統的建築物が
ろくに保全されることもなくボロボロに放置されている。
ろくに保全されることもなくボロボロに放置されている。
まさしく、おもちゃ箱をひっくり返したような、カオスの景観だ。
景観条例で注目を集めている京都でさえも、もはや街のほとんどは近代的なマンションだし、かつての木造都市の情緒はほとんど残っていない。
「日本ってこんなもんでしょ?」
そう考える人も多いかもしれない。
だけど、果たしてそれで済ましていいのだろうか。

かつての日本は世界一美しい景観を有していた

実は、日本は古くはこんなに景色が汚い国じゃなかった。
それどころか、かつての日本は世界でも稀に見る、風景が美しいことで知られる国だった。
遡れば、安土桃山時代から江戸時代にかけて長崎に寄港した外国人は
「噂には聞いていたが、長崎は世界一美しい港だ。そして、この国は見渡す限り桃源郷のようだ。世界にこんなに美しい国があるなんて、知らなかった。」
と感嘆している。
また、かつて日本に開国を迫った黒船のペリー提督は
「日本はまるでユートピアのようだ。江戸は街も田園もよく手入れがされており、都市でありながら庭園のようだ。多くの場所から富士山が見え、江戸湾が望める。これほど美しい町は西欧にはない。日本人ほど自然や景観や眺望を大事にする人々はいない。できることなら、こんなに美しい国で一生を終えたい。この地に住む人々こそ地球で一番の幸せ者だ。」
このように手紙に記し、日本の景観を絶賛している。
きっと、彼らが今の日本を見たら失望するだろう。
そして、僕自身も悲しい。こんなに美しかった日本が西欧に景観で大きく劣るようになってしまったなんて。日本人として悔しい。だからこそ、このままじゃいけない。
人々の意識次第で美しい景観は取り戻せる
景観は、間違いなくそこに暮らす人々の幸福度に直結する。
たとえ意識していなくても、汚い景色の中で暮らすのは、ほとんどの人にとって、多かれ少なかれ潜在意識下でストレスになっていると思う。
今の日本に閉塞感が漂っているのも、景観が一つの原因にあるのではないか。僕はそう思っている。
まずは、僕はこの危機感を多くの人と共有したい。今の日本人は日本の景観が汚いことをうっすらわかっているかもしれない。でも、だからと言って、それがどうにかできる問題とは考えていない人が多いし、どうにかすべき問題だとも思っていないだろう。
そんなことはない。今からでも遅くはない。政治次第で、少しづつ変えていくことはできる。少なくとも僕はそう信じている。KYO(京)
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貴方はどう感じただろうか?
私は常日頃から自分の住んでいる街が汚いと感じてきた一人。
ガーデンデザインやランドスケープデザインなんかをやっていると
嫌でも海外の洋書を手にとる機会がある。
そして、その素晴らしい景観デザインを目の当たりにするたびに
日本の景色が加速度的に嫌いになっていた。
どうして日本は、こんなに汚いんだろう・・・
また自分の住んでいる山梨などは、周辺の県に比べても
相当レベル落ちしている。
まー貧乏県と言ってしまえばそれだけなんだろうが。
引っ越し27回の経歴や出張が多かった私の経験からしても
どー見てもココ山梨は汚いランキングTOP3には絶対入る気がする。
だからでもないが自分の家だけは、脱山梨環境を目指して綺麗にしている。
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