武田信玄・禰々・前田利家・明智光秀がみな兄弟姉妹だったら…
の続きです。
日本の家門の徐系列と家紋
ちなみに徐系列としては
ここで少し藤原氏と本田氏のお話をひとつ。
藤原氏と百済王子
藤原氏⇒藤原鎌足は百済の王子=扶余豊璋
本田氏/本多氏⇒本田善光は百済の第二王子=扶余善光 ※善光寺の開祖
※松平家に仕えたとありますが主はお飾りで実権は本田氏。
善光寺の開祖 : 本田善光
善光寺の開祖は本田善光(扶余善光)で
この方は、百済から疎開してきた二人の百済王子の弟だそうです。
兄は、かの有名な中臣鎌足(扶余豊璋)で、後の藤原鎌足と同一人物です。
※本田=本多
下記は善光寺の寺紋 立葵
※紋の周囲を〇で囲むデザインは分家のような扱いと思われます。
陰の実力者は表舞台に出ない
世界のエリート支配層も同じですが日本でも本物の主は
身の安全を確保する為に表に出ず
家臣として存在したり誰かを矢面に立てて裏で操作します。
例 徳川と本多
要は徳川家・織田家・豊臣家は表立った主役のようですが
本物の役者は武田家や藤原家だったようです。
藤原氏の矢面⇒平氏としての織田氏・豊臣氏・石田氏
武田氏の矢面⇒源氏としての徳川氏
天皇家は十六菊花紋以外に長く最高権力の座にいた藤原氏の
下り藤あたりを使用しそうなものですが
天下分け目の関ヶ原の戦いで徳川家の東軍が勝利したので
本来であれば現在の天皇家は三つ葉葵を使用するはずだと思います。
がしかし天皇家は三つ葉葵ではなく
武田菱を使っています。
それは源平合戦の最終勝者が関ヶ原の戦いで
入れ替わったからだと思います。
これが下記のようになったのかもしれません。
もしくは
でも何故それを隠すのでしょう?
事実が解ると不都合なことが発覚し
歴史の嘘がバレルからではないでしょうか。
例えば
武田信玄・高台院(ねね)・前田利家・明智光秀がみな兄弟姉妹
だったとか・・・
そんな策略家の武田信虎か子孫が歴史を改ざんし
今日に至り、しかも皇室がその末裔?だなんて知れたら
えらいこっちゃです。
なんて思ったりしました。
この方は、百済から疎開してきた二人の百済王子の弟だそうです。
兄は、かの有名な中臣鎌足(扶余豊璋)で、後の藤原鎌足と同一人物です。
※本田=本多
下記は善光寺の寺紋 立葵
※紋の周囲を〇で囲むデザインは分家のような扱いと思われます。
陰の実力者は表舞台に出ない
世界のエリート支配層も同じですが日本でも本物の主は
身の安全を確保する為に表に出ず
家臣として存在したり誰かを矢面に立てて裏で操作します。
例 徳川と本多
要は徳川家・織田家・豊臣家は表立った主役のようですが
本物の役者は武田家や藤原家だったようです。
藤原氏の矢面⇒平氏としての織田氏・豊臣氏・石田氏
武田氏の矢面⇒源氏としての徳川氏
天皇家は十六菊花紋以外に長く最高権力の座にいた藤原氏の
下り藤あたりを使用しそうなものですが
天下分け目の関ヶ原の戦いで徳川家の東軍が勝利したので
本来であれば現在の天皇家は三つ葉葵を使用するはずだと思います。
がしかし天皇家は三つ葉葵ではなく
武田菱を使っています。
それは源平合戦の最終勝者が関ヶ原の戦いで
入れ替わったからだと思います。
これが下記のようになったのかもしれません。
もしくは
でも何故それを隠すのでしょう?
事実が解ると不都合なことが発覚し
歴史の嘘がバレルからではないでしょうか。
例えば
武田信玄・高台院(ねね)・前田利家・明智光秀がみな兄弟姉妹
だったとか・・・
そんな策略家の武田信虎か子孫が歴史を改ざんし
今日に至り、しかも皇室がその末裔?だなんて知れたら
えらいこっちゃです。
なんて思ったりしました。
リンク
玉座も武田菱のデザインです。
なぜ下剋上なのか武田と藤原の関係を調べてみました。
主従関係だった藤原氏と武田氏
武田氏の源流 : 源経基の子⇒源満仲
清和源氏の祖先である源満仲の主君は藤原兼家でした。
主従関係だった藤原氏と源氏の武田氏という関係がわかりました。
関ヶ原の戦いは
源平合戦の最終戦
で武士として力を持ち始めた
武田グループの下剋上合戦
だったのではないでしょうか?
リンク
明智光秀と織田信長
明智光秀への織田信長のいじめのような対応や
明智光秀の本能寺の変はコレでスッキリしますし
この時に家康が必死で京から逃げたことも理解できます。
家康はもしかしたら当時、京にいて信長包囲網を画策していた
祖父の武田信虎や伯父の明智光秀に助けられたのかもしれませんね。
高台院(ねね)と徳川家康
高台院の息子が家康と言う流れになります。
今まで敵方の豊臣家にいた武田禰々も最終的には
家康の元に行きましたし秀吉と子もなさなかった理由も納得です。
石田三成は秀吉の息子という説もありますから
更に納得ですね。
そもそも論として信虎からすると武田信玄は肖像画からも見てとれますが
大人しく戦争や知略に向かないことから地元の甲斐を守らせたのだと思います。
そして武田二十四将なる優秀な部隊をつくって
ひ弱な武田信玄を強いぞと恐れさせたのではないでしょうか。
強い信玄を印象付けるために代役を立てたとも思います。
これぞ影武者です。
関ヶ原の戦い
徳川家康率いる「東軍」と石田三成率いる「西軍」の戦いですが
突き詰めると
源氏と平氏の戦いになります。
武田氏の孫の徳川家康は源氏
豊臣家の石田三成は平氏
【東軍系】源氏
徳川家康
武田氏・今川氏・松平氏
【西軍系】平氏
石田三成
豊臣秀吉
織田信長
歴史とは勝者の歴史です。
要は勝者が都合よく改竄するのが慣例で
これこそが勝者の特権ともいえます。
※日本の歴史も世界史も同じ。
今の天皇家に藤原氏の家紋である下り藤が使われず
武田菱が使われているのはこのためではないでしょうか?
要はこの方たちは武田氏の末裔ということになります。
にわかに信じ難いですが。
それと武田菱の色が紫なのがまたまた気になります。
山梨の銘菓・信玄餅で有名な桔梗屋のロゴと被るからです。
※手前の桔梗紋は明智光秀だけの家紋・後ろの桔梗紋は一般の明智家の家紋
一時タルタリア騒動で日本の歴史から遠のきましたが
タルタリアの位置づけが怪しくなってきましたので
日本史について又調べ直したいと思いました。
藤原氏vs武田氏
清和源氏のトップである武田氏とその下流系である今川氏・松平氏・徳川氏
そして
桓武平氏の流れではあるものの実は藤原姓の織田氏・豊臣氏・石田氏との闘い
そんな実態が浮き彫りになりました。
関ヶ原の戦いとは
藤原氏の配下の武官系の武田氏に
藤原氏の配下の武官系の武田氏に
なんとしてでも負けられない藤原氏が織田氏・豊臣氏に代表される
武官系の平氏を立て
日本の覇権をかけて戦ったのではないでしょうか。
そんな源氏の危機を悟った源氏の頭領である武田信虎は
一家総出で決死隊を組織したのかもしれません。
敵方のスパイ要因として
明智光秀(長男 : 武田竹松)
と
前田利家(三男 : 武田犬千代)
そして
武官系の平氏を立て
日本の覇権をかけて戦ったのではないでしょうか。
そんな源氏の危機を悟った源氏の頭領である武田信虎は
一家総出で決死隊を組織したのかもしれません。
敵方のスパイ要因として
明智光秀(長男 : 武田竹松)
と
前田利家(三男 : 武田犬千代)
そして
信長の結婚相手には間に合わなかったので
手下の木下藤吉郎/豊臣秀吉の嫁に婿の諏訪頼重を殺してまで
娘の高台院/北政所/おね/ねね(武田禰々)を送り出した感じです。
手下の木下藤吉郎/豊臣秀吉の嫁に婿の諏訪頼重を殺してまで
娘の高台院/北政所/おね/ねね(武田禰々)を送り出した感じです。
三男の武田犬千代を前田利家(犬千代)として
禰々の援護射撃役として送り込んだ作戦も素晴らしいと感じました。
禰々の援護射撃役として送り込んだ作戦も素晴らしいと感じました。
突拍子もない内容かもしれませんが
もしそーなら面白いですよね。
今の日本の皇族は武田氏の系列ということになります。
コロナの時に武田という名前がチラホラ見え隠れしましたが
本来の主はエリート支配層のスイスのように前に出てこないものです。
そして
山梨と言うこんな地味で田舎の
天下を取り損ねた武田氏が? まさか?!
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