2019年にこのテーマの記事を書いたことがあります。
私は 山はあっても山梨県 民ですから
武田信玄については徹底的に調べ上げた経緯がありました。
しかし当時かなり批判的で怖い思いをしましたので削除した思い出があります。
・・・が
面白い発想で現地取材もしましたし
根拠もまーまーチラホラありましたから
また記事にしたいと思いました。
今回は、そんなさわりの部分を紹介します。
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武田信玄・禰々・前田利家(犬千代)・明智光秀がみな兄弟姉妹
結論から言うと
そんなことになってしまいまして
当時の大河ドラマ
麒麟がくる(2019から放映)
と内容も被り思い出深い長編記事になりました。
怖い思い出に関してですが
要は触れてはいけなかった話なのかなと感じました。
まーそれでも妄想の一説ということで
小説のようにお読みいただければと思い再度挑戦してみたいと思います。
鍵は清和源氏と桓武平氏という天皇家に次ぐ第二位の一族。
清和源氏/源朝臣
清和天皇(852年生)由来。
源氏には祖とする天皇別に21の流派(源氏二十一流)があり
清和源氏はそのうちの一つで清和天皇から分かれた氏族である。
朝臣(あそん、あそみ)は、684年に制定された八色の姓やくさのかばねの制度で新たに作られた姓で、上から二番目に相当する。 上から一番目の真人(まひと)は、主に皇族に与えられたため、皇族以外の臣下の中で事実上、源氏の最も上の地位にあたる。
桓武平氏
桓武天皇(737年生)由来。
平氏は、日本の皇別氏族で、平(たいら)の姓を賜姓された氏族。姓は朝臣。
平安時代前期に創設された氏族であり、桓武平氏を含め4つの流派がある。家紋は揚羽蝶を中心に使用した。平氏の最も上の地位にあたる。
こんな源平の関係を頭に置きながらご覧ください。
過去に調査した内容
・大福に似ている武田信玄(1521生)の本当の肖像画
・信玄より父である武田信虎が凄かった
⇒目の上のたんこぶである藤原氏に対し下剋上を企てたらしい
・信虎は今川家に自ら出向き追放されていなかった
⇒娘である武田禰々の子供 : 竹千代(家康)の英才教育を監督
・武田氏は藤原氏の武官系の配下
⇒清和源氏の中でも松平家・今川家は武田家より格下
・武田禰々の息子 : 双子の諏訪寅王
⇒禰々は1542年?、諏訪大社上社の大祝の神氏の諏訪頼重との間に双子の子供あり?
※双子のひとり寅王は処遇不明
※神氏である諏訪氏の血筋は藤原氏に対抗できる大きな武器
・徳川家康(1543年?生まれ : 竹千代)は禰々の双子の子のひとり?
・武田禰々(1528生?)は豊臣秀吉の正室のねね/高台院(1549生?)と同一人物か
・ねね/高台院は清和源氏 : 浅野長勝の養女
⇒浅野長勝は平氏(藤原氏) : 織田信長と藤原氏 : 豊臣秀吉の家来
※敵方の浅野長勝を抱き込み娘を養女にしたのか?
・武田竹松(長男) 1517生? ※1523年 7歳で死亡?
戒名 源澄院殿天誉尊体智光大童子
・明智光秀は武田竹松か? 1516生? 出生父母不詳
⇒清和源氏の明智氏に養子に出されたのか?
※家康の懐刀 : 南光坊 天海とも同一人物説あり
・山梨に智光寺という武田家の寺がある ※現地取材済
清和源氏の土岐氏支流である明智氏に生まれたとされるが、一次史料はない。
足利義輝期に創設された足軽衆に属していたことから、少なくとも足軽衆より格上である奉公衆に名を連ねた土岐氏流明智氏の本流出身ではないことは明らかである。
父は江戸時代の諸系図などでは明智光綱・明智光国・明智光隆などと記載されるが、一次史料からは土岐明智氏嫡系の人物に「光」の字を有している者がいないため、江戸時代の創作であると考えられる。
桔梗紋の謎
明智氏の水色桔梗紋
何故か色が反転している明智光秀の水色桔梗紋
暗に明智一門ではないと否定しているのでしょうか。
桔梗屋とロゴ
・山梨の銘菓信玄餅の会社名は桔梗屋⇒明智光秀の家紋は桔梗紋
何故か明智氏本来の水色桔梗紋と光秀の水色桔梗紋
がセットになったロゴ
しかも光秀の家紋が手前にきている
・武田犬千代(三男) 1523生? ※1529年 7歳で死亡?
⇒織田氏家来の前田家に養子に出される?
・前田利家(犬千代)1539生? 前田氏は平氏の織田氏に仕えた藤原氏
⇒下剋上の為に武田氏から送り込まれたスパイか?
長男の竹松といい犬千代といい武田の男児は
偶然に2人も7歳で死んでしまった・・・らしい。
既存の歴史と違う!
おいおい既存の日本史やウィキペディア情報と違うじゃないか!
とお叱りをうけそうですが・・・
待ってください。
そもそも論
歴史とは勝者が自画自賛的に都合よく改竄できる
ということをお忘れではありませんか?
え゛? 勝者って誰?
武田氏です。
武田が勝者ってどーゆーこと?
ですよね・・・。
調べていくと
そーなっちゃうんですよ。
2019から5年の歳月が経ちましたが
今回は確信があります。
実は武田家は勝者なのです。
これは事実ですのでご安心ください。
これ知ったら山梨県民は拍手喝采でしょうね。
この謎は次回のお楽しみにとっておきましょう。
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